0014

いやはや。

生きると他人と共にあるからお話が生まれる
誰もが幸せではないから不幸が連鎖する
不幸とは何か
自我が溢れて誰も掬ってくれない人


あー、と。わからん眠い。
とにかく、目覚め良く、措きたい時間に起きれたらよい
何か夢中になれればよい
恋をできたらよい
自分を雇えるようになるとよい

0013

この現代社会の合理性が原因が発展途上の過去の非合理な歴史事実だとしたら、
やはりその合理性に敬意をはらわなければならない。

しかし、多数が合理性の恩恵にあやかることが可能な時代に、
それでも非合理な問題を現代社会に相対化できない者がいる。

その者たちの一部として、絵画によってその切実性を提示するのだ。

その存在意義をしかくの中に刻むのだ。

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いかれた植物。

だれかに水を与え続けてほしい。

0011

ドラミングを観る。

振り付けとは何か
振り付けの歴史、思想
モダニズムとダンス
啓蒙とダンス
その有効性
差異を表現する振り付け
メタファーのありかた
上演時間
男性ダンサーのヒエラルキー
女性ダンサーの自意識のカテゴリー
フィナーレのありかた

大変思考を心地よく刺激してくれる公演だった。
誘ってくれた方に感謝。
勉強になった。


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そう、ある仮説でも定理でも、
なんらかの学問という歴史、言語のもつ普遍的な事実を支持体にして、
そこからすくいとれないものが表現であり、個性なのだな。

合理化の先に見えるもの、見せること、それをわからなくてはならない。

知性の先に本当の化け物が産まれる。

0010

この現代にいきるには合理的思考は避けてとおれない。
アンインストールできない。

しかし、絶妙なバランスで合理化の先に非合理なものを見せてくれる芸術がある。

それは一体なにか。
と合理的に考えてみる。

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合理化の努力を突き進めるということ。
そもそも努力って合理化させることなのか、も。

非合理な願望を肥やしにして努力という合理化という技術をみにつける。

                  1. )))))))))))(^-^)(^o^)(^^;(^^;(^^;(^^;(*_*)(^^;(^^;(^o^)(^o^)


目覚めたら身仕度をしてダンス公演をみにゆく。

想像するに、ミニマルなもの。


ミニマルも合理化、抽象化したものと言えるなら
そこから発見できるのは
そのルールからはみ出た、もしくは濾過された非合理なもの。

ミニマルの根底にも非合理に触れるチャレンジが内包されているのかもしれない。

ドッグヴィルもそう。
抽象化された舞台で露骨に浮かびあがるのは非合理な人間の欲望の底無しの暴力だ。


「「「「「「「「「「「「「帰

仮に。
都市が合理化されたものであるなら
そこに非合理はどう存在しているのか。

コンクリートの建築物の中では人間の非合理活動が
昼夜展開されているではないか。

建築物と非合理。
すこし面白いかもしれない。

合理化されたものと非合理のセットなんだ

0009

合理的にあろうとすればするほど、非合理なものが姿を現してくる。
それは自らのことを知るために大変有効だ。
表現者は自らの中にある非合理な部分こそが宝とすべきであるから。

合理化している過程は、あくまで過程であり、非合理を表現として表出させるにはいたらない。

なるべく多くのこと
できるかぎりの遠回りをして
合理化という知を通過し
最後に非合理をつかむ
化け物になる

((((((((((((((

しかし気を付けなくていけないのは
合理化を目的に生きてはならないということ。

それは犯してはならないミスだ

最後は知から離脱するものこそ豊かな表現だな