0007

いつでも渦中に居たい。根本はそこなんだな。

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高校の時にふと気付きがあった。
「わかりやすい」あらゆる体制批判が表現に添加されていれば、
「なんとかなって」しまうということ。
すこし社会のことに興味を持って本でも買おうとすれば、
なにやら難しいがあらゆる負の現実の因果を解明しようとしている。
そして往々にしてその敵は国家、及び保守の思考をもったものたちなのだ。
勿論、現実的に貧しい生活をしていた我が家はマイノリティの境遇、自らをマイノリティというのはきらいだが、
保守の思考の利益を享受できる存在ではなく、
むしろ搾取されていたから、左翼的思考のありかたは理解、というか、当たり前のように思えた。

しかし、そこに同化するのはナンセンスだと思ったし、
なにより、最終的に批判行為で発言が最終決定するのは大変稚拙さを感じた。
そしてまずは、批判の思考より、保守と言われる建設のエネルギーを知りたいと思った。
それを知らないと本質的な批判は誕生しない。
それは表層の、小さなトピックごときに一喜一憂することに人生が終始したくないという直感による回避でもある。
(そう、小さい問題を首の血管グイグイ弛緩させ、空間を言語によって支配する人達。あれはどうしたらよいか。このとしになってもうまく受け止められない。時間は有限なのに、乱暴な人々だ。)


そう、だから右翼や天皇民俗学を調べた。
みんなが守ろうとする国というもの。
それは一体なにか。

結局、抽象概念、お金の歴史、憲法、芸術、この4つに現在は集約され、世界のなぞはまだこれらに隠されていると思うが、
社会的に外部と関係を持ち生きる自らの心という生物が変動を繰り返し、
調べものは遅々としてすすまないのだ。







0005

貴賤の有無、差別、優劣。自明だがそれは消えてなくならない。
それはそれで仕組みだから認めるしかない。
しかし、その現実から浮遊して囚われない発明というか、能力が人間にはある。

気になるのは、欺瞞なんだ。ということ。
その欺瞞は人間の発明の価値を無意味化してしまう。

0004

結婚生活とは、とはなしをしていて。
与えられた環境を疑わず、決めたことだからとやり通す。
その約束された環境を継続することがなにより努力を必要とする。
だから、どんか劣悪な環境でも、土に栄養は無く実りは少なく笑顔の無い生活であろうと継続させる。

そんな生活は農家じゃないか?!と言ったら笑われた。

そう、僕は農家じゃない。
土地に縛られることとか、たぶんそういった才能がない。

両親とも根なし草だから、仕方がないか。


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確かめられるべきものを確かめたら、
あとは行動する。
降り下ろされた刀の本来の目的
放たれた弾丸の本来の目的

目的を達成しない行動とは行動と異なる呼び名を与えられる。

行動を実感するなら目的を明確に。

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昨夜からはじまること。
なかひらたくまを連想する。

0003

どんな状況かわからないが、それを観たひとがそれまでの限られた選択肢以外の価値を見出だし、新しい挑戦をする力をもてるもの。
その原因が芸術。

仕事は日常を作ってくれるが、与えられたもの。
仕事と芸術を混同しないように。
芸術をヒントに仕事はできるが、本質的な芸術はより孤独なもの。
交差するようではあるが、最終的には全く異質なもの。

0002

人はあらゆる手を使ってでも手にしたい、手元に残したいものがある。とする。

原始より自らのために物資を確保するため知恵が発達したと言える。

奪い合い。
奪い確保するために殺し合い。
そのエネルギーの文脈にいるからこそ私もあるのだが、
争奪の末の決着は着けなくてはいけないのだが、
その争奪される対象は傷付くべきではない。
資源も人も同じ。
奪い合うもの同士が疲弊すればいい。

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同僚に自我と自己の話をしてもらった。
わたしは自我(子供)の人とのこと。
自己(親)を誕生させるべきとのこと。
しかし、面白かったのは自己は自我の欲望を成就できずにいるもろもろの不作法を
親として手助けをしてやる存在なんだということ。
それは自我は無くすのではなく、自己によってうまく達成させるという考え。

自己否定でも去勢でもない自分を変様させる考え方。
考えてみようとおもう。